エレガンテFC 日記

エレガンテフットボールクラブ

日本と日本の外

日本を代表するプレイヤーのゲームには…

日本人にとって、世界で活躍する為に必要であろう要素が(組織)としても(個人)においても、ピッチの上にたくさん舞い散っています。その要素を拾えるか・拾えないかは、日本を疑ってるか・疑ってないか。

みんながうまいなぁと評価する2人

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日本を代表するサッカー大好き少年の2人

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同じぐらいスキルがあるにも関わらず、ゲームにおける力の発揮のされ方が異なるのはなぜなのだろうか…

いくつもの要素があって異なると感じているのですが

フットボールの理解(フットボールとはどのようなゲームなのか)

②認知,判断,実行の定義(何を認知して、何に基づいて判断し、何の為に実行するのか)

③良いプレーの評価基準(何を基準に良いと評価されるのか)

これ以外にもいくつもの要素がある訳ですが、この3つは特に引っかかるところであります

①が違えば②も違ってくるし③も違ってくる

①は文化的な要素によるものなので、国の問題かなと

だから日本という国は、ドリブルスタイル、パススタイルとかに偏りがちな傾向があるのではなかろうか

となると、日本国民の目(評価)は、良いドリブル、良いパスといった(瞬間)しか見えなくなりますね

フットボールをどのようなゲームとして捉えるかによっては、②に対する③は変わってきちゃいますよね

もちろん、プレイヤーの特性としてドリブラーなのかパサーなのかはあっても良いと思ってるんですけど

日本の外からしたら、どっちもが当たり前なんじゃないの?ってことではないかと感じています

日本の外は、どっちもが前提の上で、ドリブラーなのか、パサーなのかってことではなかろうかと

なぜならば、フットボールとはどのようなゲームであるべきなのか、の理解が日本国とまったく異なるから…

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話が脱線する前に、今回のブログで伝えたいことは(日本国民の上を目指している未来のある子どもたちは久保選手の技ではなくて術を真似しよう)ってことです

この2人の決定的な違いは、小さい頃からフットボールをどのように理解してプレーし評価をされてきたか

この違いは、理解させ評価する側に問題があって、それは国であり、子どもに携わる大人たちの責任である

こんなこと言ってますが、プロサッカー選手になっていない事実を認識した上で、少し後ろめたさを感じながらブログに文字を記しております

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エレガンテとしては、小さい頃からフットボールをどのようなゲームとして理解するかを大切に、その理解に基づいた認識,判断,実行(現代風に言葉だけブログ内では使っていますがグランドでは使っていません)の積み上げの時間をグランドで提供し続けて参ります

桑田